【書評】「健康第一」は 間違っている

「健康第一」は間違っている
名郷直樹
筑摩書房|2014年8月15日刊|1,600円+税



医師・日野原重明氏が105歳で亡くなろうというとき、聖路加国際病院院長の福井次矢氏が「経管栄養や胃ろうをしますか」と尋ねたところ、日野原氏がはっきりとそれを拒否されたという逸話があちこちで報じられた。まさか福井氏は、105歳の日野原氏にほんとうに胃ろう造設を提案したわけではないだろうし、日野原氏の答えは訊かれなくても決まっていただろう。おそらくは、日野原氏の最期を修飾するための、福井氏のマスコミ向けの作り話に違いない。万が一、本気で尋ねて、受け容れでもしていたら、日野原氏のこれまでの言行を覆すスキャンダルになってしまっただろう。日野原氏は、100歳を超えて医師として患者を診て、110歳まで講演の予定があるから死ねないと意気軒昂だった。そういう意味で、たんなる長寿ではなく、健康長寿の象徴的存在だった。

ここで紹介する名郷直樹の著書は、この健康とか長寿という世間が無条件で支持することに、ちょっと立ち止まって振り返ろうと呼びかけた問題提起の書である。延命治療はもちろん、「出生前診断は不要」と言い切り、健康が第一という価値観を捨てることを勧める。姥捨て山(『楢山節考』)にヒントを見出し、「死ぬことを前提とした医療を基盤とし、健康欲をコントロールし、生存欲にきりをつけていくような医療が重要になってくる」と提言する。
「頑張り過ぎの糖尿患者さんに向かって…もう少し食欲を解放し、健康欲を抑制しよう」と呼びかける。こう書くと、過激な医療否定の書のようだが、名郷直樹は知的ではあるが過激ではない。
医療者のために、根拠のある医学判断を下すためのEBMという手法を広めた名郷直樹が、医療の受け手に向かって、医者というものがしばしば根拠のない判断を下していることを警告し始めたのは、「後悔したくなければ医者のいいなりはやめなさい」(日本文芸社)を出版した2013年、比較的最近になってからである。おそらく出版社側の意向でタイトルだけは過激そうに見えるが、答えよりも考えることを大事にする姿勢は変わらない。その「考える」をもっとも丁寧に書いたのが本書である。
本書もタイトルは過激である。実際、日野原のネーミングになる生活習慣病に疑問符をつけ、健康を求める欲望をコントロールすること、極めつけは「禁煙の行き過ぎをどうコントロールするか」、「健康第一は間違っている」と提言する。
しかし著者が、このようなメッセージを鮮明にするのは、本書の最後の最後である。目次構成の常識から言えば、著者の個人的経験、動機、具体的事例をあげた最後の9章を冒頭にして組み立てるべきである。しかし、そう言っても、おそらく著者は首を縦に振らなかったであろう。著者は、この結論に至るまで、価値判断を停止して、態度を宙づりにして議論を進めることを、この本の趣旨にしている。「考える」ことを読者に求める書なのである。
「今の日本で、生き死の問題に、現実として『何が起きているのか』をできる限りニュートラルに確認することから始めたい」(第2章)。「生まれ、生き、老い、病んで、そして死ぬということに、何のバイアスもかけずに、そこで何が起きているのかを検討できるかどうか。それが本書の挑戦である」(第2章)
で、何が起きているのか?
「生活習慣病と呼ばれる疾患の大部分は、生活習慣によるものではなく年齢が最も大きな因子である。」
「医療費の抑制のために健康に気を付けるというのは、一見もっともらしいが、実はかなり荒唐無稽な対策であることがわかる。」
「禁煙が医療費を減らすという研究結果は多い。しかし、これは短期間に限っての話である。」
「長寿の達成=幸福がゴールというような考えは、あまりに楽観的すぎる。…時間軸で見れば諸行無常である。」
バイアスをかけずに、現実を見ることを、著者がことさら強調するのは、主張が先にあって、その主張を根拠付けるために疫学データが都合よく利用されている問題があるからだ。EBMが普及しはじめた20年前、医師がインターネット(PubMed)を利用して臨床判断の助けを得るときに使われたエビデンスという用語は、この20年の間に自分の主張を確からしくみせるものに意味を変えてしまった。著者が、医療者から医療の受け手に読者を転じた理由のひとつは、そこにあるのだろう。
著者は、繰り返し「文脈を捨て」て考えることを求める。文脈を捨てるとは、価値中立の態度であって、私たちの日常感覚にはない思弁的態度である。たとえば著者は、「短い」でもなく「長い」でもない、「長さ」だけを表す「ながかい」というひとつのコトバを考案する。「新生児で亡くなってしまった子どもの人生は『ながかい』」。文脈によって「長い」とも「短い」とも受け取れる。その文脈は、社会によって与えられたものではないか、いったんその文脈を捨てて考えようと言う。

血圧と脳卒中の関係、降圧治療の脳卒中予防効果、がん検診、認知症早期発見の現実…、ここで評者はその要点を書き留めたい衝動に駆られるのだが、著者は、「私はと言えば、そのどちらかを主張することだけは避けようと考えている」と、折りに触れて価値中立の釘を刺す。本書は、「文脈を捨てて」考えることを求めているので、本書を要約することは本書の趣旨に反するのである。著者は禁欲的に、「語り尽くせないようなことをわかりやすいワンフレーズで単純化して語りきってしまうことの問題」をこそ、示そうとする。
もっと鋭い切れ味が欲しければ、別に評する浜六郎の「『薬のやめ方』事典」(岩波書店)がお勧めである。おなじく文献を読み解いて薬依存が過度に進んだ現代の医療に警鐘を鳴らすとともに、患者自らがかしこくなって「薬をやめる」ことを指南する内容で、示唆に富む。
もっとも著者も、最近、本書「『健康第一』は 間違っている」と内容が類似し、表現をクリアカットに単純にした本「65歳からは検診・薬をやめるに限る!——高血圧・糖尿病・がんはこわくない」(さくら舎,2017年4月)を出版した。一見、サプリメントだの健康法だのを勧める通俗的な健康本のスタイルを模しながら、やはり考えることを求める反健康本であるが、著者の主張を手短に知りたければこちらの本がお勧めだ。
そもそも疫学データというものは、連続的なグレーなのだから、数字をいじることによって黒に近いということもできれば白に近いということもできる。著者は、絶対的に価値中立なんてことはない、とも言っている。(評者:秋元秀俊)

65歳からは検診・薬をやめるに限る!——高血圧・糖尿病・がんはこわくない
「薬のやめ方」事典