歯医者は医者かと問う勿れ
生活の医療社 2024年3月刊行
タイトル:歯医者は医者かと問う勿れ
秋元秀俊 著
ハードカバー|四六判|モノクロ|274ページ
定価:2,700円+税
歯科にももっと物語があっていい
なぜ、歯医者は、 歯科医師であって医師でないのか? 歯科医学は医学ではないとでも言うのか? 日本近代歯科の牽引者にして東洋歯科医学校創立者、佐藤運雄の悲願 「歯科学と医学の合体」は如何にして破れたか——医科と歯科の学問的統合を夢見た日本近代歯科の牽引者・佐藤運雄の半生を描くノンフィクション。
明治39年3月、帝国議会に医師法案が提出された僅か2週間後に歯科医師法案が提出され、その後、二つの法案はほぼ同時に成立し公布された。 一方は、帝国大学を背景にもち、他方歯科には専門学校さえなく、鑑札営業の従来家も少なくなかった。こうして誕生した二つの職業は、大戦を境に経済・文化の中心が欧州から北米に移り、フォーカルインフェクションの嵐によって歯科が補綴一色になった時代に、教育から学問に至るまで医学から分科独立する。 この歯科医学の草創期に、学問をリードし、一貫して「歯科学は医学なり」と唱え続けた男は、医科・歯科二元論の主流派から厳しく排斥され、「逆賊扱い」されたのである。
目次
目次
1章 運命としての職業
2章 CCD設立メンバーからの洗礼
3章 日露戦争前夜の躍動
4章 医師法・歯科医師法の成立
5章 歯科医専の誕生
6章 三崎町派・富士見町派さらに東大歯科の対立
7章 血脇大人への手紙
8章 中心感染説と米国における二元論の確立
9章 反二元論宣言に対する集中攻撃
10章 日本大学専門部歯科設立と歯科医師廃止論
終章
著者
1952年、兵庫県西宮市に生まれる。大学卒業後、元町(横浜)で木工職人の見習いの後、いくつかの職を経て業界紙記者、人文図書編集。歯科臨床家向け月刊誌「ザ・クインテッセンス」の創刊に携わり、同誌編集人を務める。1990年に独立後、医療専門の企画・編集とともにジャーナリストとして医療関連記事を執筆。有限会社 秋 編集事務所(書籍企画・編集)代表。 著書に『良い歯医者と治療がわかる本』(’98)、『ドイツに見る歯科医院経営の未来形』(’01)、『手仕事の医療 評伝石原寿郎』(’17)。共著に『〈歯科〉本音の治療がわかる本』(’94)、『医療事故の責任』(’07)、『院内事故調査の手引き』(’09)、『3・11の記録 震災が問いかけるコミュニティの医療』(’12)、『院内事故調査 実践マニュアル』(’15)、など。